高輪ゲートウェイ駅から歩いて 用事を済ませ、その帰り道 泉岳寺にお参りすることに。
都営浅草線 泉岳寺駅(A2出口)から約200m。すぐ近くです。
泉岳寺と言えば、忠臣蔵の赤穂浪士(四十七士、赤穂義士)が葬られていることで有名なお寺。
泉岳寺をお参りするなら「忠臣蔵」の物語を知ってからのほうがいいと思います。そのほうが興味深く お参りできますし、物語自体が日本の冬の風物詩ですから、日本人として知っておくのもいいかなと思います。
大都会なので 入口付近は 建物に囲まれていて こじんまりとした雰囲気。
そして現れる中門。
↑中門(ちゅうもん)
もとは総門・中門・山門の三門がありましたが今は中門と山門のみが残っています。現在の中門は1836年に再建されたもの。
少し参道があり、その奥に山門(さんもん)。こちらは1832年に再建されたもの。
どちらも重厚感と趣きがあります。
泉岳寺は1612年、徳川家康が幼年 身を寄せた今川義元の菩提を弔うため、江戸城に近接する外桜田に創建したのが始まり。
1641年の寛永の大火で焼失し、徳川家光の命を受けて毛利、浅野、朽木、丹羽、水谷の5大名の尽力により現在の高輪の地に移転再建されました。浅野家と泉岳寺の関係は それ以来のもの。
1701年3月14日、江戸城中で播磨赤穂藩の藩主・浅野長矩が旗本・吉良義央を切りつけ、即日 切腹処分、翌1702年12月14日に47人の赤穂義士が江戸本所の吉良邸に押し入って主君の仇討ちをします。
討入りから約50年後に歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」が始まり、その人気もあって 多くの参詣者が訪れるようになり 現在に至っています。
山門の手前にある、忠臣蔵の主役・大石内蔵助の銅像。大石内蔵助のリーダーシップも物語の見どころのひとつです(というか大半)。
本堂
ところどころに音声ガイドの表示があり、スマホで音声ガイダンスを聞くことが出来るようになっています。
主税梅
本堂に向かって左手後方に順路が伸びており、この先に四十七士の墓所があります。文化財にも指定されています。
江戸時代に想いをはせながら 心静かにお参りしましょう。
以前 お参りに来た時に「御朱印の書置きはありません」とのことで いただくことが出来ず(御朱印帳を持っていっていなかったので。)今回は御朱印帳を持参したんですが、今度はコロナのせいで「御朱印の受付休止」とのこと…。残念過ぎます。
現在、御朱印の受付休止のほか、緊急事態宣言を受け、以下2点が変更となっています。
・義士館、線香売り場の営業停止(但し、義士墓地の線香は無人機にて販売)
・閉門は16時
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